「この人とどう接したらいいのかな…」。
人付き合いや対人関係に苦手意識を持っている方は少なくないでしょう。
特に相手が職場の上司など、どうしても関わらないといけない人物だったら。
一番良いのは部署移動するなり転職するなり、その人と距離を置くことでしょうが、そう簡単にはいきませんよね。
今回はそんな「答えの出ない問題」で悩むことを減らすために、「課題の分離」という考え方を紹介します。
「課題の分離」とは
「課題の分離」とは、アドラー心理学ともよばれる「個人心理学」の用語です。
その課題は誰が解決すべき課題なのかをはっきりさせる。
「自分が解決すべき課題」と「他人が解決すべき課題」を分けて考え、「他人が解決すべき課題」には干渉しない、とする考え方です。
例えば、あなたの目の前に機嫌の悪い人がいるとします。
人付き合いに苦手意識があるあなたは、きっと「この人の機嫌を良くしよう」とあれこれ悩み、一生懸命に関わろうとするでしょう。
しかし「機嫌が悪い」というのはあなたの課題ではなく、相手の課題です。
その課題をどうこうできるのは、相手自身しかいないわけです。
機嫌を良くしようと話しかけて、結果うまくいかなかったとしても、あなたが「もっとこうすれば良かったかな」と悩む必要はありません。
あなたが自分の課題として改善できるのは、「話しかけるかどうか」という一点だけ。
自分の課題と相手の課題を分ければ、そもそも「機嫌を良くするために話しかけようかな」と考えること自体が相手の課題への干渉なので、やめた方が良いとわかります。
対人関係の悩みは相手ありきで、自分だけでどうにかできる問題ではありません。
人付き合いに苦手意識がある人は、「自分の課題」と「相手の課題」を混同してしまっているといえます。
「答えのない悩み」で不安になるあなたへ
「明日の面接うまくいくかな」「こう言ったら相手はどう思うかな」。
そんな不安は、日常でたくさん出てきますよね。
私も不安を感じやすいタイプで、性格的不安とよばれるような、理由のない漠然とした不安を抱えがちです。
しかしそもそも不安は生物にとって「リスク回避」のために必要な感情なので、それ自体は良し悪しで判断されるものではありません。
問題は「答えのない悩み」に執着して、不安を増幅させてしまうことです。
面接がうまくいくか、相手に発言がどう思われるかなどは、最終的には「相手のとらえ方」次第。
それは相手の課題であり、自分がどうこうできる問題ではありませんよね。
であれば、あとは「自分が伝えたいこと」と向き合い、「どうすれば伝わるか」を考えるしかないのです。
自分の話に集中してもらうために、清潔感のある見た目を心がけたり、姿勢を正して堂々と話すようにしたり。
文章であれば、わかりにくい表現を控えてカタカナやひらがな、漢字の配分を工夫してみたり…。
「これが自分にできる精一杯だ」と思えるところまでやって、それでもダメなら「仕方ない」。
そこで「みんな自分をダメなやつだと思っただろう」と考えるのは相手の課題への介入であり、「答えのない悩み」への執着です。
「今回はダメだったけど、どこがダメだったか見直して、次に活かそう」と思えば、自分の課題に向き合って成長できますよね。
そのためには「これを通して自分が何をしたいのか」、自分の目標、原動力を明確にすることです。ウィッシュリストを作ったりするのも役に立ちますね。
「過干渉」に悩むあなたへ
課題の分離は福祉や教育、子育てにも応用できる考え方です。
子どもや職場の後輩などに「つい口出ししてしまう」「手を貸しすぎてしまう」と悩む方も多いでしょう。
私も職場や家庭で、よく反省しています。
出かける準備にもたつく子どもに「早く行くよ」と手を貸してしまう。
作業中の後輩に、聞かれてもいないのに「ここはこうした方がいいよ」と口出ししてしまう…あるあるです。
指示や命令って、自分がされても良い気分にはなりませんよね。
それは「自分の課題」に対して、他人から介入されているから。
相手の課題に口出し・手出ししてしまうのは「過干渉」であり、避けた方が良いです。
経験上、「あなたのために」という熱意が強い人こそ、過干渉になりがちな印象を受けます。
だからこそ一概に悪いとは言いにくいですが、それが本当に「相手のためになっているか」を考える必要があるでしょう。
相手が求めていないことを無理強いするのは、結果的に互いのためにならないのです。
相手への干渉は「これだけしてあげたのだから相手は感謝すべき」「相手もわかってくれるはずだ」という期待・見返りに、無意識のうちにつながっているのです。
それは「自分が認められたい」という気持ち…結局は承認欲求に根ざした自己中心的な行為なのだと、アドラーは批判しています。
課題の分離は福祉分野での「バイステックの7原則」、「自己決定の原則」と通じるものがありますよね。
困難を抱えた人は、自分に関わることは自分自身で選んで決めたいと望んでいる。最終的な決定権は本人にある、と考えるのが自己決定の原則です。
道を選び決定するのはあくまでも本人であり、私たち周辺の人物は手助けをする存在でしかありません。
ただし、課題の分離は「相手を突き放す考え方」ではありません。
むしろ相手と自分とが対等な人間であるという前提に基づき、互いの課題や人生、役割を明確に分けようとする、信頼に基づいた考え方だと私はとらえています。
子育てについていえば私は、「甘え」を満たすことは必要だとも思っています。
子どもは愛着で結ばれた安全基地を基点にして、外界との接触を図ります。
外に出て傷ついては戻ってきて、安全基地で「自分は大丈夫」と回復して今度はより遠くへ…。それを繰り返して人は成長するのです。
まとめ
今回はアドラー心理学の「課題の分離」を紹介しました。
・「自分の課題」と「相手の課題」を区別する。
・改善できるのは「自分の課題」だけ。
・「相手の課題」には干渉しない。
「これは自分の課題なのか、相手の課題なのか?」と迷ったときは、「最終的に誰が最も影響を受けるのか」で考えましょう。
「勉強しない子どもに勉強させようとする」というのは、子どもの課題に対する親の介入です。
社会的には「子どもをしっかりさせるのは親の責任だ」と見るかもしれません。
しかしそれは「どちらの課題か」とは別問題。「勉強しない」ことによる影響を最も受けるのは子ども自身です。
職場やプライベートで付き合い方に困る人がいるならば、「課題の分離」を意識してみましょう。
相手が解決すべき課題について、あなたが考えたり悩んだりしていませんか?
もしそうなら、あなたが責任を感じて悩む必要はありあせん。自己犠牲でどうにかしようと考えず、素直に相手と距離をとる方法を考えた方が良いですよ。
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